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トーリー党 (イギリス) : ウィキペディア日本語版
トーリー党 (イギリス)[とーりーとう]

トーリー党(トーリーとう、Tory Party)は、かつて存在したイギリス政党。現在の保守党の前身にあたる。チャールズ2世の時代の1678年から1681年にかけての王位継承問題でカトリックであったチャールズ2世の弟ヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)の即位を認める立場をとった人達をさして「Tory」と言ったのが始まりである。
== 歴史 ==

=== 王位継承問題 ===
1660年清教徒革命後の王政復古を受けて即位したイングランド王チャールズ2世には嫡子がおらず、次のイングランド王にはチャールズ2世の弟、ヨーク公ジェームズが目されていた。しかしジェームズはカトリックであり、プロテスタントイングランド国教会を国教としているイングランドではカトリックの王を頂くことに対して強い抵抗感があった。この後継問題はイングランド議会においてもジェームズの即位を認めるグループと認めないグループの間で激しい論争となった。ここで反対派が賛成派を指してToryと呼んだのがトーリーの始まりである。論争以前にチャールズ2世の側近であったダンビー伯トマス・オズボーンが議会内部に宮廷党と呼ばれる与党勢力を築いたのが起源で、かつてチャールズ2世の側近で王位継承問題で野党に転じたシャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーが結成したグループが後のホイッグ党に転じた。
トーリー党は王権神授説と国教会支持から王権を尊重、ホイッグ党は議会と非国教徒への寛容を重要視していた。こうした背景からトーリー党は王位継承に口を出すことに抵抗を感じ、一方のホイッグ党は議会による王権の制限を目論んでいた。ただ、この時点で両者ともまとまっていたグループとは言えず、複数の派閥で形成されていた。
1678年にほら話から始まった集団ヒステリーのカトリック陰謀事件で無実のカトリック教徒が多数処刑され、カトリックに対する恐怖からジェームズもフランスルイ14世との関与を疑われ、シャフツベリ伯ら野党の非難にさらされた。ダンビー伯もフランスとの秘密交渉が発覚して窮地に立たされ、チャールズ2世は弟と側近を守るため翌1679年に議会を解散したが、野党の非難は止まずジェームズはイングランドから出国、ダンビー伯はロンドン塔へ投獄され、シャフツベリ伯らホイッグ党が総選挙に大勝、新たに開かれた議会で与党となったホイッグ党が王位排除法案を提出した。この法律でジェームズの王位継承を阻止、合わせてチャールズ2世の庶子であるモンマス公ジェームズ・スコットを嫡子に格上げさせて次の王とするのが狙いであった。しかし、チャールズ2世は法案を拒絶してまたもや議会を解散、以後も法案提出と解散が繰り返され、最終的に1681年の解散以降チャールズ2世は議会を開かなかった。
チャールズ2世は解散後に反撃に打って出た。ルイ14世から資金援助を受けたことと、自分の資金源である貿易の関税・物品税からの収入が増えたため議会から課税の同意を取り付ける必要がなくなり、開会することなく政権運営が出来た。加えて、ホイッグ党の支持基盤が都市である点に目を付け、都市の権利を認める特許状の剥奪と再交付でトーリー党に転じさせ、地方に準拠する治安判事もトーリー派に交替させることによりトーリー党の勢力拡大に成功、シャフツベリ伯はロンドン塔へ投獄され(同年に釈放)、1682年の地方選挙でトーリー党優勢となり、ジェームズも帰国を許された。同年の武装蜂起未遂でシャフツベリ伯はオランダへ亡命、翌1683年に死去した。ライハウス陰謀事件でホイッグ党の他の指導者層も処刑され没落、モンマスも関与を疑われオランダへ亡命したため、チャールズ2世の政権は安泰となり1685年の死後にジェームズが王位を継承した〔『イギリス史2』P246 - P250、『イギリス革命史』(上)P220 - P253、P262 - P265。〕。
「Tory」はアイルランド語の「toraidhe」から来ており、その意味は「ならず者」とか「盗賊」と言う意味である。一方即位を認める者達は、即位を認めない者達を指して「Whig」スコットランド語で「謀反人」、「馬泥棒」と言うあだ名を付けた。この呼び方もホイッグ党の始まりになった。なお、この時点でホイッグ、トーリーとも現在のような綱領を採択して党として一致した政策の実現を目指す政党(Party)ではなく、あくまでもジェームズの即位問題にのみ特化されたグループである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トーリー党 (イギリス)」の詳細全文を読む



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